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半ニート時代に受注して作ったサイトがピンチの会社を救うほど稼いでいた話

私はHTMLでウェブサイトを作るようになってからこれで10年位になりますが、その始まりはまだ20代の頃、体を壊して会社をやめてから非常勤講師として週に1~2回程度しか働かない時期があり、このままでは何も発展していかないと思って始めたのがその原点です。その頃に出会って、作らせていただいたウェブサイトがその業界では話題になり、後を追って他社に真似されてきたほど、注目されていたということを今日知りました。今回はそのことについて少し書いてみようと思います。

リーマンショック直後の陰鬱な時代、自分も未来を悲観していた

私は当時うつ病を患っており、昼夜逆転生活で体力も気力も足りない状況、まともに営業することができるような精神状態ではなかったので、もう人生が詰んでしまったのではないかという恐怖に毎日憂鬱な気分で過ごしていました。そんな中、SEO(検索エンジン対策)も含め、ウェブデザインを勉強し、当時は【多治見 ホームページ 制作】でグーグルの検索結果のトップを確保する程度には研究をやりこんでいました。

それでも未熟そのものでウェブ関係の会社で働いたこともなく、ゼロからのスタートで、しかもリーマンショック直後の最悪な経済状況、優先順位の低い広報予算を取りに行くようなことは至難の業でした。だから、自作のサイトのクオリティは今一つで、どっかのブログに酷評されたり、嫌がらせのメールが来たり、そういうこともありました。そもそも人手が余ってアルバイトの求人がほぼ掲載されていない求人誌が即完売、同じくデザイン学科で学んだ同級生もブラック企業で体を続々とぶっ壊して引きこもりルートがすぐそこに常にある、というような時期でした。年越し派遣村とかあのへんの時代です。今回はその頃ふとメールで問い合わせをしてくれた方のために一生懸命サイトを作った話をしようと思います。

 

それは一通のお問い合わせメールから始まった

めちゃくちゃ優しいお客さんとの出会い

日々鬱々と過ごしていたある日、突然メールフォームからメッセージが送られてきました。その頃は半ニートで車ももっていなかったので、原付に乗って出張しました。自分でもこんな小汚い若造が一人できて、大丈夫なのか??と思うような登場の仕方をしてしまったのに、5分ほどプレゼンをしたところ、即決でサイトの制作を任せていただくことになりました。逆に、こっちがえ、それでええのって不安になる感じでしたが。。。

これは、期待に応えなければならない!と思うと同時に、今の課題、業界の様子、色々聞き出したり調べたりしていくと、検索エンジン対策は圧倒的に有利な状態で進められるだろうという予測は立っていました。2008年位になってもまだ、その業界ではきちんと作り込まれたウェブサイトを運用している企業は大手の数社だけだったのです。ある意味、自信はありました。

こんな会社があるのか!と驚いた

会社というのは、厳しくて、働くのは辛いことだと思わざるを得ない経験をしてきて、自分がまた働かなければならないということにすごく抵抗を感じていた頃でした。ところが、その会社では終業の定時は絶対に守るし、従業員の方は楽しそうに自分のペースで働いている。リーマンショックの煽りでかなりシビアな状況になりつつあるという話だったにもかかわらず、当時よく見られた強度の高い労働を課すようなことはしていなかったし、派遣労働者を使い捨てるということもしていませんでした。

こっちが営業でお邪魔しているというのに、食事に連れて行ってもらいました。実はこの関係は今でも続いていて、当時駆け出しで破格の見積もりでやったので、儲かったぶんだけありがたく好意に甘えています。。。

そうした経営者に初めて出会ったので、私は不思議に思って色々質問したような気がします。その問答で、この会社を応援したい!やれることはどんどんやりたい!と思ったのは覚えています。

 

かくして検索エンジン対策を徹底して行ったシンプルなウェブサイトが出来上がった

検索エンジンは徐々にその検索結果の中で順位を上げていく

業務上、守秘義務も多いので掲載するコンテンツの作成には苦労しました。というのも、当時は特に使われるキーワードと文章の中のキーワード量の程よさのバランスが大きくその順位に影響していて、どうしてもある程度まとまったボリュームのテキストが必要だと考えていたので、結構粘り強く話し合いを続けましたが、どうにかある程度ページが出来上がったので、それで公開することにしました。それと同時に、当時の感覚で自分ができるなりにかっこいいデザインを追求しました。

予想通り、最初の一ヶ月は結果がついてこなかったものの、ライバルが少ないのもあってぐんぐん掲載順位は上がっていきました。そして、徐々に問い合わせも入るようになり、ゆっくりと売上に好影響を与え始めたのです。

まだスマホが登場するちょっと前。当時の他社サイトは淡白なデザインでHTMLを組んだような、90年台の匂いがまだ残るようなところが多かったのです。BtoBで、理系の方向けに作られているのであまりそのあたりのブランディングはなされていないのが普通でした。その中で、私が手がけたそのサイトは予想以上に、その業界内で評判を呼びました。

安定して売上に貢献する存在に

それから数年、ずっと検索上位をキープしたまま、毎月問い合わせが入る状態。徐々に、業界内でも評判になってきたことが同業者やクライアントから伝わってきたそうです。新たな取引先も増えていきました。しかし、業界としては逆風そのもの、私が打ち合わせで事務所にいるときも、同業者の方が廃業することにしたから資材を引き取る気はないか、と相談に来るようなこともありました。こちらが業績を安定して伸ばしている一方で、どんどん倒産する会社が増えているのは、間違いない事実でした。

その状況を見越して早めにウェブで集客をしようと思った社長の先見の明、そして数ある業者から私を選んでくれたこと、これは大正解と言えるでしょうw

なぜなら、たった数名でやっている会社が、これまででは考えられない規模の企業と堂々と取引し、実績を積み上げるようになったからです。いつしか逆に会社の生産キャパを心配しないといけないことも増えて、慢心しないようにしなければならないという贅沢な悩みが浮上してきました。

ウェブで集客に成功したのもまた事実だと思いますが、仕事内容がきちんとしているからこそその効果が最大化できるというものです。また、こちらの仕事のミスも色々ありましたが、必ずもう一度チャンスを下さり、見守ってくださった社長には感謝です。

この会社はとてもいい会社だからもっと関わる人が増えてほしいし、働いている人に喜んでもらいたい。その思いが実ってよかったと思っています。

都度、リニューアルも進めてきた

まず、そういう状況を見た同業他社がどんどん同じキーワードでウェブサイトを展開し始めました。先行者としてのアドバンテージは徐々に失われていきます。こればかりは、各社の自由なので仕方ない。そこで、テコ入れを行いました。デザインのリニューアルと同時にコンテンツを見直し。

その次には、スマートフォンでの閲覧に最適化したデザインも作成しました。それから数年の間が空きましたが、今ではまた別の取り組みも進めており、おそらく十分な手応えが得られると見ています。

 

協力業者や同業者からの嬉しい一言

「おたくのホームページを見てうちも作ろうと思った」「うちもサイトを作るときは参考にした」

クライアントはそのような言葉をかけられたそうです。それを聞いたとき、私もちょっと信じられないなと思いました。商売として考えるとそれだけ真似されるということは困るといえば困ることではあるんですが、もちろん私もただウェブサイトを作れますよというだけではなく、もっと総合的に集客する仕組みを日々実践してノウハウを育てています。逆に言えば、ライバルが育つということは、私にとっても成長の機会というわけです。

だって、検索エンジン対策やコンテンツ作り、まだまだ業界でもトップクラスだと思いますもん。まだまだそのゾーンでは戦えているはず。それだけネットで集客するノウハウが浸透していない業界であるというラッキーが要素としては大きいですが、得られたアドバンテージを最大限に活用することは基本中の基本と言えるでしょう。

次の一手を打ち続けモチベーションを保つ

一時的に現状に満足してしまうような状況にはなりましたが、また徐々に新たなチャレンジを始めています。現状維持はゆるやかな衰退である、ということ、業界は縮小傾向が続いているし、今後も続くだろうということ、そのなかでも安定した業績を上げる仕組みができていること、これらは現状維持のために費やすべきではありません。現場に無理のないようにきちんとマネジメントしながら、効率よく売上を伸ばすように工夫していくのです。その会社では飛び込み営業もルート営業もやっていません。すべて申し込みがあってからスタートする業務です。その集客をウェブでやっているのです。

これがウェブを【運用】するということなのです。あればいい、ということではなく、積極的に分析の道具として、集客の仕組みとして、知ってもらうツールとして、活用していくことがどれほど大事化をもっと伝えていきたいと思っています。

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