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自分を埋もれさせない自己表現と仕事への向き合い方

私が中学生の頃、精神的にも、自分のパーソナリティ的にも大いに悩んでおり、はっきり言えば不登校でした。成績と言うか、学力的には少なくとも平均以上だったんで、当時、周囲には驚かれました。色々理由はあったんですが、自分のエネルギーの使い方とか周囲との人間関係とかで悩んでいたのも要素として大きいです。

それで、その頃通っていたフリースクールの相当年配の先生から年賀状を頂戴したのですが、その文面に「突出するのではなく周囲との協調性をもつことを望む」という主旨のことが書かれておりました。

正直これにはいらだちを覚えつつ、悩みました。やっと全員同じを求められる環境から離脱したことを受け入れられるようになり、のびのびと遊んでいた頃にこれを書かれたのは実際にショックでした。悪気がないのはわかるのですが、そして戦前生まれの先生なのでそういうもんだとも思うのですが、それでもなかなか印象的でした。

規格品量産工場で埋もれた浮きこぼれと落ちこぼれ

学校という環境に適応できる人もいるし、そのほうが安心する人もいます。というかそっちのほうが多数派です。そこになじめない一部の人は、限界を超えてしまうと不登校になったり、非行に走ったりしてしまいます。今でこそ、そうした状況に陥った人へのケアやリスタートの道筋はととのいつつありますが、相変わらずそういう人たちは自分で環境を変えていく努力の必要性に迫られます。

しかし、あれから20年ほどが経ち、いまや自分らしい生き方を自由に発信できる時代がやってきました。先人たちの苦労に感謝です。

突出しないと生まれない価値は間違いなく存在する

目立つということ、ファンを獲得するということは、やってみたらとても難しいことです。運や時代もあります。事実、このブログなんてほとんど誰も見に来ません。ウェブ屋なのにこれでええのか、という感じですけども、それでも中には私のことを気に入ってくださる方がいるものです。ここで覚悟を決めて、万人受けではなく特定の誰かに強烈に訴求する生き方や能力を伸ばしていくしかありません。それは他の人にはない価値を自分で生み出していくことにほかならず、まさに「突出」するしかないのです。

いわゆる、平均的な大卒からの公務員やサラリーマンといったルートからドロップアウトした人間の宿命です。頑張っても末路は哀れ野垂れ死には覚悟して、それでもやっていくしかない。それで色々もがいているわけです。

で、何でこんな事を書いているかというと、この頃それが一つずつチャンスに繋がり始めている手応えを感じているからです。

突き抜けないと刺さらない

マインドコントロールは強く、いくら生きづらさを抱えていても人は自分の得意なフィールドを見つけられたとしてもなかなか突き抜けられないんです。時間もかかる、経験も積まなければならない。それを超えていける方法の一つは堀江貴文氏の言うところの「多動力」だと思います。勇気を出してやってみよう。

いろんなことに挑戦して、それらを関連付けたり人に発信することをしつづけて初めてチャンスが生まれるのです。

尖ってるという言葉もしばしば厄介な人物であるというニュアンスで使われます。しかし、私は釣りをするからよく分かるんですが、とにかく尖っていないと刺さらないんですよw誰にも引っかからない。

尖ってる、突き抜けてる、それをどう見せるか。伝えるか。

勉強したこと、やってきたことは誰にも盗めない財産だ

こうやって発信を続けていると、たまに、私の動向をずっと追いかけている人が現れます。つい最近も、そうやって一人、遠隔地から仕事のオファーが来ました。しかもそれは、私がサラリーマン時代に体を壊して諦めた仕事です。

事業について詳しくはいずれ紹介することになりますが、相手もまた、非常に尖っててかっこいい大人の方でした。まさに、自分がやってきたこと、やりきれなかったこと、実現したいことがつながったのです。それが成功するかどうか、そればかりは結果次第ですが、一人では絶対にできない仕事です。私ができないことで最高峰にいる人と私が持っている何かしらの価値が仕事でつながることができたのです。

せっかくなのでこのブログはうちの学生にも読んでほしいのですが、経験と知識と発信力は一人ひとりにしかない固有のもので、誰にも盗まれないことを覚えていてほしいと思います。勉強と行動は続けていきましょう。自由のために。

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