美味しい思い出 あの中華料理がまた遠い記憶に霞んでいく

みなさんにも今はもう食べられない子供の頃の思い出の味、青春時代の思い出の味とともにそのお店の雰囲気とか空気感を思い出すことがあるのではないでしょうか。

同級生の父親がやっている中華料理店の思い出

小学校の記憶とセットで蘇る味覚の断片

私は子供の頃、近くの中華料理店によく連れてってもらいました。隔月位の頻度だったと記憶しています。

そのころ、遅ればせながらファミコンを買ってもらって、自宅ではボンバーマン2、くにおくんの時代劇なんかを遊んでいて、友達がロックマン2を持ってきたりして遊んでいました。同世代の皆さんはどれでもお好きなゲームのBGMを脳内再生しながら読んで下さい。

小奇麗な座敷で、餃子、野菜炒め、青椒肉絲、そしてお子様セットについてくる肉団子。。。。おそらく北京料理ルーツのジャパナイズド中華、優しめの味わいが子供心にすごく印象的で、美味しかったことを憶えています。ごくごく庶民的な、近所の人達が日常的に立ち寄るタイプのお店でありながら、その味付けはどことなく上品で、丁寧なものだったように思います。ふくよかで血色の良い大将が真っ白なコック服に身を包み、豪快に中華鍋を振って青椒肉絲を炒めている様子は今でも目に焼き付いています。

料理ができるまでの間に読む少年ジャンプが当時コロコロコミックだけ読んでいた自分を少し大人にしてくれて、初めてこち亀に出会い、電影少女は親の前で読むわけにも行かず(まだそういうのに興味を持つ前の2年だったしオモシロイと思ってなかった)、花の慶次とかろくでなしBLUESとかを読むと少しお兄さんになれたような気がしましたね。ところで初めて読んだこち亀はこのお店で読んだものです。部長へのお歳暮に両さんがいたずらする話で、入浴剤にアレコレ細工して「肥溜めの香り」とやっている話で、店内にもかかわらず一人でだらしなくも爆笑して親にグーで軽くこづかれたのもいい思い出です。漫☆画太郎先生の作品に出会ったのもこのときか!小学校でまんがくらぶに所属してそういうナンセンスグロバイオレンス漫画ばかり描いているから、学年にその名が轟く人気作家になりました。画太郎先生ありがとう。

脱線!

そうやって時々連れてってもらうのを楽しみに生きていたある日、私はそのお店が同級生の父親がやっているお店ということを友だちから聞いて知りました。ところが、私はその同級生の顔と名前を知っていても、同じクラスになったこともないし、特に話したこともなく、どうやら体格がよくスポーツも得意そうな彼にどうも気後れというか、勝手に向こうは自分のことはあまり好きではないだろうと思っていて、なんとなく、本当に何となく、親にいい加減な嘘を言ってしまったのです。

「おれ、あそこんちの子と仲悪いからあんまり行きたくない」

仲が悪いのではなく、単に面識が薄いだけだったのに、小学生独特の変なグループ意識とか自意識過剰さとかけ恥ずかしさ、いろんなものが混じった言語化できないおかしな気まずさでそのようなことを口走ったわけです。実は、もっとあの店の野菜炒めが食べたい。またあの肉団子が食べたい。そう思っているにもかかわらず。

親は

「そうか。じゃあ今日は他のものにしよう。うどんでいいか」

とだけ言って、特に詮索もしませんでした。

変な気まずさと罪悪感を整理しなければと思った

自分としても、不本意なことを口走ってしまったことは反省していて、しばらくスイミングスクール辞めたい辞めるなの全面戦争もあったり、いじめられたり、いじめてきたやつを襲撃したり、とにかくグレるとかじゃなくて変な方向に荒れた小学生だったわけですが、そういう殺伐とした日々の中で少し気がかりだったのが、その中華料理店のことでした。

「俺、またあのお店でご飯食べたい」

親も行きたかったのを我慢していたようで、あっさり連れてってもらったのをきっかけにまたそのお店通いは再開しました。その間約1年半くらいブランクがあったにもかかわらず、結局私はそのお店のせがれとは関わるきっかけもなく、「なんか遠いところに住んでいる別のクラスのなんかいるやつ」という距離感は変わりませんでした。

そんなある日、友達とその話になり、めっちゃ美味いよな!と盛り上がったことがありました。その友達というのが、その中華料理店のせがれと同じクラスで結構話す間柄だったようで、本人を呼びつけました。

「おいちょっと来いよ、お前んとこの料理、こいつがめっちゃ美味しいからって、よく親と食べに来るんだって」

ちょっと気まずくて固唾をのんでその様子を見る私。

すると本人は、ニコっと笑い、

「ああそう、ありがとう」

と照れくさそうに一言言って、また彼の友達の輪の中に戻っていきました。

私はその瞬間、自分の中のやましさとか情けなさとか罪悪感とかが混じった居心地の悪さを人知れず、彼のリアクションによって浄化されたと感じました。それからも彼となにか一緒にやるような関係ができる機会もなく、クラスも結局一緒にならないまま小学校卒業。たまたま縁がなくて、その距離感は最後まで変わりませんでした。

不登校で学校から離れている間に事件は起こった

私、中1末期から中学卒業まで不登校になってたんで、その間は学校の人とはできるだけかかわらないように生きていました。だから、また結局その中華料理店も学校の近くということで誰かにばったり会うんじゃないかと思うと怖くて行けず、お店に行く機会がない時期を迎えました。

そしてどうにか通信制ながら高校進学を果たし、元気を取り戻した頃、またあのお店に行きたいとせがんで連れてってもらいました。

しかし、お店の建物はそのまま残っていて、看板がついていても、まるで人気がなくなっていました。

もうあの料理が食べられない。それは一つ、子供時代が終わったのだという現実を私に告げたようなものでした。あれだけ美味しくて繁盛していたのだから、きっともっと大きい店を作って引っ越したんだろう、と思っています。そうであってほしい。また私の知らない何処かで、あの野菜炒めを、肉団子を作っていてほしい。私のエゴでしかないけど、元気でいてほしいと思っています。

居抜きで全く毛色の違う中華料理店ができた

テンプレ中華の進出のさきがけ

しばらく空き家だったそのお店に、私が18になる頃に新たな店が入りました。また中華料理店ですが、以前とはまた違う派手な店構えに。

店員さんはほぼ全員中国人。今では珍しくない、コンビニや飲食店の居抜きで入る中国人経営の中華料理店、私の中での呼称ですが「テンプレ中華」系です。どうやら名古屋にルーツがある、華僑グループによるノウハウとシステムの共有で独立オーナー制の出店をバックアップする仕組みができています。何処のそれ系のお店行っても、似たようなメニューのデザイン、店内も中古家具に取って付けたような「さかさ福」のタペストリー、あれはめちゃくちゃ良くできたノウハウなんだろうなあと思っているわけですが、そういうテンプレ中華系ってのは安いけど量がすごく多くて味はまあ普通、というイメージではないでしょうか。

ところがそのお店は少し違いました。最初こそ不慣れ故か餃子が脂っぽい、ということもありましたが、やがて四川料理の良さを活かしたメニューはどれも美味しく、また量もすごく、なによりお店の中国人のお姉さんが明るくて親切。何年経っても日本語は下手だけど、それがかえって「アグネス・チャン効果」的なものを醸し出しているのか、気にはなりません。店は平日も、夜も繁盛していました。

当時まさに大食いのピークだった私は、ここのランチを平らげることが楽しみでした。間違いなくそのへんのテンプレ中華とは一線を画すクオリティでした。

就職して地元を離れても

やがて就職して地元を離れました。そして最初に食べたくなったのは母の作るカレー、そして焼き肉、次にその中華料理店でした。帰省すると、母親は何でも美味しいもの食べに連れてってあげるというので、その中華料理店をリクエストしたら、寿司とかじゃなくていいのかって言われましたけど、寿司もいいけどあのマーボードーフ、担々麺が食べたかったんです。

私のことを知っている人ならお馴染みですが、やっぱり集団生活に馴染めず会社を辞め、鬱になって数年間唯生きているだけみたいな生活をしていたんですが、その無力感のなかで、母親が「あんたは好きなことやればいいんだから今はゆっくり休め」と言い、時々この店に連れて行ってくれました。自分の無能感と平日の昼からぼーっとしている罪悪感、リーマンショックでこの先自分も仕事が見つからないんじゃないかという焦燥感、とにかく怖くて仕方なかったあの頃に食べた唐揚げランチも、心境は複雑ながら美味しかったです。秋の日差しが心に痛いあの頃の辛さは今でも思い出すとしんどいです。

店は入れ替わってしまったけど、紛れも無く、家族にとって最も深い馴染みの店でした。

で、なんでこんなことをしみじみ書いてるのってことだけど

一言でいえばさっき食ってまずかったからです

それで、久しぶりに、2年ぶりくらいか、お店に行ってみたんですよ。そしたら連休のゴールデンタイムにもかかわらずガラガラ。前は満席で諦めることも多かったのに。店に入ると、なんだか暗い。いつものメニューを食べたいと思って注文するけど、量が減っていて、味も旨味が抜けていて冷凍食品以下。不思議に思って厨房に目をやると、まるっきりメンバーが入れ替わっていました。ラーメンは出来合いの業務用スープなのでそれなりに以前と同じような味でしたが、乗せものが明らかに劣化していて、調理技術が素人レベルなのははっきり見えました。

店内ではハエが元気にワインディング飛行し、蛍光灯は昭和かよってくらいほの暗く、メニューは意味不明なものばかりが増えていく。

ものすごく残念なんです。めちゃくちゃ悔しい。いや、悔しいならちゃんと通えよって話ですけど、職場が遠いと地元で外食って意外としないじゃないですか。なんかほんとごめんなんですけども。

前のあの日本語が下手だけど愛嬌たっぷりのおじさんたち、お姉さんたちは一体どこに行ってしまったんだろう。もっといい条件の会社に行ったんだろうか。きっとまた日本社会で色々苦労しながらも楽しくやっているだろう、そうあってほしい。やっぱりそうやって勝手に思ってしまいます。日本人である私と中国人との間では色々わかりあえないこととか政治的な問題とか色々ありますが、だからこそ、客と店員という関係であってもあの人元気かなと思える関係性って大事だと思うんですよ。

とにかくまた一つの思い出が消えてしまったんです。

そこでふと私は、彼のことを思い出しました。本当に天文学的確率になってしまうと思いますが、これを読んでくれていたら、連絡ください。もう一度、あなたの偉大なお父さんを讃えさせてください。

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